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【連載】

■「教師の視力検査」(8)

                    
木原ひろしげ(福岡県JEARN会員) 
                 yahsiloam@yahoo.co.jp 


◆ 名 月


もう30年も前、ちょうど今の季節、いつものとおり晩酌でほろ酔い気分のところに、親父
から電話が入った。「孫に今日の満月を見せてやってくれんか」という。これまでの私た
ち父子の関わりにおいて、突拍子のない会話にはお互いに慣れているのだが、今回は
私もまごついた。彼は続ける。口調が神妙である。「俺の目が見えなくなったのが5歳
の時だ。その時に見た満月を今でも覚えている。初孫が今ちょうどその年になった。」 
私はすぐに「分かった」とだけ返事して電話を切った。長女をベランダに連れ出して満
月を見せた。あれから30年、ということは長女は35歳か。親父は2年前に他界した。


今年の中秋の名月は何日だろうと、インターネットを検索してみた。最初のページに、
「名月を とってくれろと 泣く子かな」という一茶の句が紹介されている。私には「名月
を 孫に見せろ という親爺」ではないか。


私はうかつにもこの電話で初めて、父の失明が5歳の時であったことを知った。五つ
の時‥‥、五歳の時‥‥、我が子の今の年齢の時‥‥、そういうことが何回もグルグ
ルと頭の中を回った。自分の五歳の時を思い出そうとするがなかなか記憶が遡れない。
電話では「なかなか美しいものだ、今でもはっきり見える」という。そういうものなのか。


私からすれば、もの心ついた時から、父は目が見えないのであって、その事実は動か
しようのないものであって、例えば「どうして見えなくなったか」とか「見えたくはないか」
とか訊ねたことはない。しかし、「見えたくはないのか」と、何かにつけて、子どもである
私は父にではなくて自分の中で自問自答していたようだ。


見えたいはずだ。私が妻を迎えるという時、母が私にこっそりといった。「嫁さんはどん
な顔かと、お父さんから聞かれたよ。」 そうだろ! やはり見えたいのだ。では、自分
(父)が嫁さん(母)を迎える時はどうだったのか。姿・形を見たかったのではないのか!
文芸趣味の父はあちこちに自分の作品を点字で投稿していた。その中に、「盲(めしい)
我 蛇の姿も なつかしい」(文芸音痴の私は、その正確なテニオハを覚えていないが)
というようなものがあった。ちょっとしたショックを受けた。改めて、「見える」ということを
考え直させるものだった。


私は教師になって、貪欲に教育理論を学んでいた。しかし、その学びの中にいつも「見
る」という隠しテーマを持っていた。多く「見る」、正しく「見る」、鮮明に「見る」、見えるま
で「見る」といった具合に、「教師の視力」が指導のベースにあった。その追求は間違っ
ていなかったろう、と今でも思う。父の盲目という私にとっての事実が私をそうさせた。
そういう時の“名月電話”は大きな衝撃であった。見えない父が見える私をとおして、孫
に見せろというのだ。


教えるということは―――、伝えるということは―――、見せるということは―――。

定年退職を迎えて、今さらそんなことを突き詰めて何が分かるというのだ。分かった
からといってそれが何なのだ。私には分からない。しかし、いずれにせよ、私の場合
は「見る・見える」というテーマからは逃げられないのだ。今となっては、教えるとい
うより、自分自身の‘生’‘命’を、見る・学ぶという立場で。

中秋の名月。また、ベランダで明るい月を眺めることになる。今回は妻と二人だ。

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【2006/12/30 16:00】 | 教育全般
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