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 五月に入って海の色が突然に明るくなった。群青色に近い、重たい潮の流れは小さなさざ波を起こしながら粘りけの多い油のような顔を見せていたが、このところの太陽の輝きによって、一気に乳白色に染まりながらリーフに緑色を目覚めさせているようだった。

 山村健一郎は大きく背伸びをすると鼻を押さえて息を止め、飲み込んだ息を肺の奥に押しやるように身をこごますと、目を大きく見開いて眼球だけをぐるぐると回した。吸い込んだ空気が肺からしみ出し、体中を回って、眼球の奥にまで駆けめぐり、脳の中にこれから行う挑戦の準備を指令しているように感じて、山村が海に潜るときには欠かせぬ大事な準備運動になっていた。特別な鍛錬を行っているわけではなかったが、山村の体は見るからに柔らかそうな筋肉が覆い、たくましく日焼けした皮膚はやっと温んできた海水を油紙のように見事にはじいていた。この島に来て三年の年月が、知らずのうちに山村を漁師の体に仕上げていた。

 山村は丁寧にメガネを付けると砂浜を進み、右手に散在する脳珊瑚の林に向かって泳ぎだした。この島のリーフの中で一番見晴らしの利く、きれいだがいたずら好きの小魚達の少ないエリアが、この巨大な脳珊瑚のビルディング群であった。また、出入り口に近いせいもあって、外洋からのお客さんが見渡せて、自分では数十分にも感じるこの挑戦の間には、退屈しない絶好の場所とも思っていた。

 直径が3メートルほどのこの当たりでも一番大きな脳珊瑚につくと、上の平らなテーブルに乗り、あぐらをかくとゆっくり深呼吸をして息を整える。水温は約22度、まだ少し冷たいが挑戦にはまあまあの環境になってきていた。大きく息を吸い込むと静かに海に滑り込み、3メートルほどの海底に着く。海底には2本のおもりを結んだロープが用意され、それを両膝に掛けると体の力を一気に抜く。筋肉に押さえられていた肺からし
み出た空気が体に程良く巡りだし、一つひとつの細胞から緊張感が抜けていくようであった。

 目の前は、ミルクを混ぜたような薄い緑色の海水がゆっくりと右に流れている。うねりながら続く珊瑚砂の浜の上の海水は10センチほどの往復を繰り返しながら緑色に溶け込んで、色を濃くしながら水面に近づき、アラベスク文様に織り込まれた光にその色を消している。小さなプランクトンがなすがままの様でいながらも懸命に泳ぎ、少しでも居場所を変えようともがいていて、そのわずかな濁りの動きが、海が生きている証明に
も成ろうとしている。

 この海に5分を越す潜水を行い、記録に挑戦する山村が静止すると同時に、都会の喧噪にも似た穏やかさが漂い、山村の心臓の鼓動だけが規則的なリズムを刻んで、時間を支配するもののように思えた。

 山村は半眼に構え背筋をのばすと、鼓動の音を追った。耳の中やこめかみにこだまする鼓動は、眼球を揺らし食道に響きながら規則正しく全身を覆う。この後何百回の鼓動を聞いて揚がるのか、いくつを数えるのか、リズムを取るのか、自分にはとてつもなく長いこの時間の最初に、鼓動の確かな刻みを見つけ、その中に自分の全てを沈み込ませていった。(続く)<24回連載予定>
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【2007/01/02 16:09】 | 連載
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